<蝉丸の墓です>

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実家の隣の区に蝉丸の墓があります。蝉丸は平安時代
前期の歌人で、盲目の琵琶の名手でした。

京都と滋賀の県境の逢坂山に庵があって、「これやこの
行くも帰るも わかれては 知るも知らぬも あふ坂の関
」と
いう句が、小倉百人一首・第10番に収められています。

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流浪の果てにこの地に流れ着いて、私が死んだら七尾
七谷の真ん中に埋めて欲しいと遺言して死んだそうです。

七尾七谷と言うのは陶の谷地区のことで、上野・円満・野
・宇須尾・大谷・蝉口・寺の七つの区、その真ん中に蝉丸
の墓があります。


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